メディアでは連日のように、“また”とか“高齢者の”という言葉をつけて “ブレーキとアクセルの踏み間違い事故”が報道されています。事故といえば走行中の車同士の衝突などの交通事故を想像しますが、この場合はほぼ単独の車により建物などに突っ込む事故となります。
特に最近であれば「東池袋自動車暴走死傷事故」では、幼い子供と母親が巻き込まれたということでセンセーショナルに報道機関に取り上げられ、再びアクセルとブレーキの踏み間違え事故や高齢者免許の是非が問われ続けています。
ここ数年コンビニへ突っ込む事故は週2~3回は見ますし、これはコンビニ駐車場、いわゆる“私有地内”のことなので、比較的小規模な事故が多いのですが、事故に遭遇される方についてはあってはならないものですので、今後とも妥当な対処が必要です。
ただ懸念もあります。こうした報道の多くは“高齢者がブレーキの踏み間違いによる事故を多発させている”ということを印象づけることが目的で、60~70歳を越えたら免許書を自主的に返上すべきという(実際免許の返納も増えたようですが)、どこからかの意思を代弁しているように思えます。
そのような印象報道が独り歩きすると、交通関係事故に対する冷静な判断が疎かになり、まるで“魔女狩り”のような動きになることは充分に注意する必要があります。
多発するアクセルとブレーキの踏み間違い事故の実態
いま、批判の対象となっている65歳以上というと、業務で運転をする機会が少ないので、運転慣れに問題があったり、この世代が20歳代であった1970年あたりの交通事故死者数が今と比較すると5~6倍であったため、そもそもの運転マナーに欠陥があるなどの意見もありますし、高齢に伴う身体能力の低下や感情のコントロールができ難くなっているなど、高齢者の運転に対するデメリットの根拠には事欠きません。
ところが、このようなことは年齢に関係なく、日々繰り返されています。踏み間違い事故を遥かに件数が多く、何の対応もとられない煽り運転や路上暴力などは数値すらとられていません。また、運転免許証を持っている年齢構造をみると、やはり圧倒的に60歳以上が大きなウェイトを占めますから、すべての年代が均等に事故を起こしたとしても、この世代の数が多くなってもそれは自然なことで、単純にセンセーショナルな事故報道だけで、この世代特有の問題と受け取るのは、ことの本質を見誤る危機があります。
完全な安全などない。事故は高い頻度で起こっているという認識が重要
もちろん踏み間違い事故など看過すればよいと言っているのではありません。しかし車の運転の中で最も回数の多い、“アクセルを踏む”と“ブレーキを踏む”という行為が繰り返し行われているのですから、ある一定数、ここでミスが生じるのは仕方がありません。
“シックスシグマ”という考え方がありますが、例えば車に乗る人が1日アクセル、ブレーキを踏む行為を平均400回するとして、50万人が運転すれば2億回の行為が発生しますが、このうち0.0001%(1万回に1度)ミスがあれば2万回の踏み間違いが起こります。このミスの中で1万回に1回、重大事故に繋がるのであれば1日に1回の割合で踏み間違い事故が起きます。
つまり「安全運転を心がければ、安全」なのではなく、「いかに安全を心がけても、事故は“必ず起こる”。車を運転する行為は、そもそもそれほど危険である」ということなのです。
根本的な解決には車自体の問題も
アクセルとブレーキが近いことがそもそもの原因であるとして踏み間違い防止用のワンペダルやストップペダルなどサードパーティーで開発はされていますが、車メーカーは保守的で標準で導入しよういう動きはありません。その理由はこれまでのペダル配置に欠陥があるということを認めることになり、下手をするとコストがかかるということやのかも知れません。普及率はまだまだ低いと言えるでしょう。
衝突防止センサー、サポートAIのついた車も増えてきていますが、国内メーカーでも従来の車には比較的簡単な防止装置を装備しようとしない傾向がありそれでもコストの問題があるのかもしれません。それももちろん100%安全とはいえませんし、何より車の買い替えが必要になります。
あくまで車事故の責任は個人にあり、保険会社がそれを補ってくれるとメーカーは高を括っているのかもしれませんが、その姿勢では将来大きなトラブルになるかも知れません。
それを分かったうえで言うと、やはり車自体にはさして責任はありません。車の事故が起きるのも、それを運転する人間に欠陥があるからです。踏み間違い事故は他山の石です。謙虚に受け止め、良い方向に繋げて行かなくてはなりません。